ブランド運営における カルチャーリーダーの重要性 ── 広告で「伝える」時代から、文化で「広がる」時代へ 

2026.9.14

    ブランド運営に携わる多くの人が、一つのジレンマを抱えている。

    長期的に、時間をかけてブランドを資産として育てたい。だが同時に、目の前の四半期では、確かな数字を出さなければならない。長期のブランド投資と短期の成果は、しばしば対立するものとして立ち現れ、多くの運営者をそのあいだで引き裂いてきた。

    この論考で取り上げたいのは、その二つを繋ぐ稀有な存在である。長期のブランド資産形成と、短期の成果。トレードオフだと思われてきた両者のあいだに立ち、両方を同時に手繰り寄せる役割を果たす――それが「カルチャーリーダー」だ。彼らはブランドが一方的に「伝える」対象ではなく、共に文化をつくり、長期と短期を繋ぐ結節点となる主体である。本論考では、彼らがなぜブランド運営において決定的に重要なのか、そしてどう関係を築くべきかを、原理と実際の事例をもとに論じていきたい。

    1. カルチャーリーダーとは誰か

    まず、言葉の定義から始めたい。カルチャーリーダーとは、価値観の発信によって周囲に影響を与え、新しい価値観や新しい当たり前をつくっていく人を指す。ここで重要なのは「新しい当たり前をつくる」という部分である。彼らは既に存在する流行を追いかけ、増幅させる人ではない。自らの価値基準を起点にして、「こういう良さもあるよね」という新しいものさしを、最初に世の中に根づかせていく人々だ。

    その活動領域は問わない。音楽、デザイン、テクノロジー、社会活動、料理、教育――分野はどこであってもいい。共通しているのは、彼らが「自分の内側にある基準」で世界を見て、それを表現しているという一点である。どんなジャンルであれ、その人の表現に触れたとき、見る者の価値観のほうが揺さぶられ、「そういう見方もあるのか」と新しい当たり前が静かに更新されていく。そうした作用を起こせる人が、カルチャーリーダーである。

    彼らには、いくつかの際立った特徴がある。順に見ていきたい。

    ① 価値基準の内在化。

     「これが良い」「それは良くない」という判断を、他者の承認や世間の評価に依存せず、自分の内側から導いている。だから彼らの選択にはブレがなく、その一貫性こそが信頼の源泉になる。

    ② 影響の源泉になる存在。 

    彼らの発信は模倣され、共感を呼び、やがて周囲の価値観を形づくっていく。言い換えれば、彼らは「文化の流れの上流」に立っている。

    ③ 条件取引だけでは動かない。 

    報酬や取引条件は、関係を築くきっかけにはなりうる。だが、それだけでは本当の意味では動かない。最終的に彼らを突き動かすのは、そのブランドが本物の価値観を持っているかどうかである。

    ④ 審美眼の鋭さ。 

    ブランドの価値観が本物かどうかを、ほとんど直感的に、瞬時に見抜く。取り繕った世界観は、彼らの前ではすぐに化けの皮が剥がれる。

    彼らの本質は、「自分の価値観に正直であること」にある。流行や数字に流されず、自分が信じる基準を頼りに選び、表現する。だからこそ、その表現には嘘がない。そして、嘘のない表現にこそ、人は本物の共感を覚える。カルチャーリーダーが文化をつくれるのは、この「正直さ」が他者の心を動かし、自然と模倣や共鳴を引き起こすからである。

    2. 影響力の本質は「彼らによる拡張」にある

    カルチャーリーダーの重要性を論じるとき、最も誤解されやすいのが「影響力」の中身である。現場では、しばしばこう問われる。「その人たちに価値観を訴求すれば、どれだけ売れるのか」と。

    ここに、根本的な発想の取り違えがある。カルチャーリーダーを「売り込む相手」「価値観を伝えて買ってもらう顧客」として捉えるかぎり、インパクトは限定的にとどまる。彼ら自身は人数として多くなく、彼らに直接売って立つ売上は小さいからだ。価値はそこにはない。カルチャーリーダーが心からブランドの価値観に共感し、自発的にブランドを"拡張"してくれること――そこにこそ、真の価値がある。

    彼らが「このブランドは良い」と本気で感じたとき、それを自分の暮らしの中で体現し、自分の言葉で語り、自らの意思で商品をすすめてくれる。向きが逆なのである。ブランドからカルチャーリーダーへ価値観を売り込むのではなく、ブランドの価値観に彼らが共鳴し、そこを起点に外へ広がっていく。彼らはブランドの"終着点"ではなく、"拡張の起点"なのだ。

    そして、ここからが重要だ。この「拡張」は、長期的な価値だけをもたらすのではない。短期的な売上をも、同時に生み出す。その流れを一段ずつたどってみたい。

    出発点は、カルチャーリーダーがブランドに本気で共感し、自らの意思でその商品を「これは良い」と人にすすめてくれる場面である。彼らは普段から、自分の価値観に正直な選択をする人として周囲に信頼されている。だからその推薦は、単なる宣伝とは重みが違う。

    まず起きるのは、ゼロからの認知の創出だ。彼らが知り合いやフォロワーに「これは良い」と発信すると、それまでブランドの存在自体を知らなかった人々のもとに、初めてその名が届く。しかもそれは、ただ存在を知るのとは質が違う。広告で偶然見かけた名前はすぐ忘れられるが、信頼する人がすすめていた名前は「あの人が良いと言っていたもの」という好意的な文脈とともに記憶に残る。カルチャーリーダーの発信は、一人ひとりに好意的な初接点を生みながら、ブランドの認知総量そのものを底上げしていく。

    その認知は、そのまま新しい欲求の芽生えへとつながる。それまで「自分には関係ない」と感じていた人の中に、「こんなものが欲しかったのかもしれない」という気づきが生まれる。もともとあった需要を奪い合うのではない。これまで存在しなかった需要が、彼らの発信をきっかけに新しく立ち上がる。ニーズのなかった場所に、ニーズが生まれるのだ。

    そして、その新しい欲求は、二つの層で購買へと結びついていく。

    一つは、「機能的消費」の層である。商品が役に立つ・性能が良いといった、実用的な理由による消費だ。普段は広告の宣伝文句を信じない人でも、信頼するカルチャーリーダーが「これは本当に良い」と言えば、その品質を信じてみようと思える。本来なら何度も比較検討してようやく得られる「この商品は信頼できる」という確信が、推薦によって一足飛びに手に入る。

    もう一つは、「情緒的消費」の層である。機能とは別に、その商品やブランドが体現する価値観・世界観に共鳴して起こる消費だ。カルチャーリーダーが価値観に共感して発信するとき、それを見た人もまた心を動かされる。「この生き方、いいな」という感情が購買の理由になり、商品を買うことが、ある価値観を自分の生活に取り入れる行為になる。

    こうして、カルチャーリーダーの一つの発信は、ゼロからの認知創出に始まり、新しいニーズを生み、機能的な信頼と情緒的な共感という二つの層を同時に動かす。長期のブランド資産を積み上げる施策が、まさにその同じ動きのなかで、短期の売上をも生み出していくのである。

    多くの人がSNSのフィードのなかで新しい消費テーマそのものを発見していく現代において、これは決して理論上の話ではない。本物の共感から発した一つのUGCが起点となり、それまで存在しなかった需要に火がつき、短期間で大きな売上につながる――こうした現象は、もはや日常的に起きている。

    つまり、カルチャーリーダー施策は、長期と短期を対立させて捉えるべきものではない。記憶と信頼を長期的に積み上げながら、同時に短期の売上をも生む。冒頭で述べた、多くの運営者を引き裂いてきた長期と短期のトレードオフ――その二つを繋ぐ結節点に、カルチャーリーダーは立っている。しかも、広告が出稿を止めれば消えるのに対し、共感によって文化として定着したものは止めても消えない。短期の売上を生みながら、消えないブランド資産として残っていく。ここにこそ、この施策の稀有な強さがある。

    3. すべては「自分たちの価値観を発信すること」から始まる

    カルチャーリーダーと繋がりを持ちたい、共感してほしい――そう願って近づこうとするブランドは多い。だが、その入り口でつまずく。自分たちが何の価値観も発信していないまま近づいても、まるで相手にされないのだ。

    カルチャーリーダーは、相手が本物の価値観を持っているかを見定めるからである。取り繕っただけの世界観や中身のない接近は、すぐに見抜かれる。一度「これは本物ではない」と判断されれば、二度と振り向いてもらえない。逆に言えば、共感されたければ、まず自分たちが何を信じているのかを世に向けて発信していなければならない。

    出発点は、立派な戦略資料を内に抱えていることではなく、「発信していること」だ。共感とは、何かに対して起こる感情である。その「何か」が外に発せられていなければ、共感のしようがない。胸の内にどれだけ立派な思想を秘めていても、言葉になり発信されていなければ誰にも届かない。「うちのブランドはなんとなく良い感じ」という曖昧さでは、彼らは動かない。反応するのは、「このブランドは、こういう世界を良しとし、こういう生き方を肯定している」という、明確に表明された意思に対してなのである。発信していないブランドは、彼らにとって「まだ何者でもない存在」であり、共感の対象として認識すらされない。

    ここで、言語化という作業の位置づけがはっきりする。ブランドの思想・価値観――私たちはこれをBI(Brand Identity)と呼ぶ――を言語化することは、それ自体が目的ではない。発信をブレずに一貫して続けるための"足場"として意味を持つ。言葉が定まっているからこそ、いつでも、誰が語っても、同じ価値観を発信し続けられる。

    だからこそ、本質的に問われているのは「価値観を語れる人がいるか」である。立派なブランドブックがなくても、創業者自身がSNSで価値観を継続的に発信し、すでに共感者が集まっているなら、関係構築は大きく前進しうる。その発信そのものが、生きた価値観の表明になっているからだ。創業者が自分の言葉で語れる場合、ブランドマネージャーが代弁できる場合も同様だ。最も危ういのは、価値観がどこからも発信されていない状態である。ドキュメントもなく、創業者も語らず、代弁できる人もいない――このとき、共感のための足場はどこにも存在しない。施策以前に、ブランドそのものが「何者でもない」のである。

    だから、カルチャーリーダーとの関係に、ブランドの「向き不向き」という発想はそぐわない。あるのはただ、自分たちの意志を発信しているか、していないか、その一点だけだ。まだ発信できていないブランドが取り組むべきは、施策の前にまず、自分たちが何を信じているのかを言葉にして世に発し始めることである。発信さえ始まれば、どんなブランドにも、共感が広がっていく入り口は開かれている。

    4.価値観の表現は「公共的」かつ「抽象的」であれ

    では、ブランドはどのように価値観を発信すればよいのか。ただ何かを表明しさえすれば、カルチャーリーダーに共感されるわけではない。発信する価値観の"表現のあり方"そのものに、共感を呼ぶか呼ばないかを分ける決定的な条件がある。それが、「公共的(パブリック)であること」と「抽象的であること」だ。

    まず、公共性について考えたい。一つの例を挙げよう。大画面テレビをつくっているメーカーが、「テレビは、私たちのブランドが一番良い」と発信したとする。これは、カルチャーリーダーの心には何も響かない。なぜなら、それは自社の優位を主張しているだけの、私的なメッセージだからだ。自分の商品を売りたいという内輪の都合が透けて見えるメッセージに、誰も共鳴しようとは思わない。

    では、どう変えればよいか。「テレビは、大画面で見る方が良い」――こう言い換えた瞬間、メッセージの性質が変わる。特定ブランドの宣伝ではなく、テレビという体験そのものに対する一つの価値観の提示になる。自社を主語にするのをやめ、世界に対する価値観を主語にしたとき、メッセージは初めてパブリックなものになる。

    次に、抽象度である。「大画面で見る方が良い」は公共的だが、まだ具体的な機能の話にとどまっている。ここからさらに抽象度を上げると、共感の射程は大きく広がる。たとえば「テレビで、もっと家族は家族になる」。これはもはや大画面という機能の話ですらない。同じ画面を一緒に囲み、笑い、語り合う時間が家族の絆を育てる――そうした、人と人との関係に関わる価値観へと昇華している。テレビに直接関心のない人でも、「家族の時間は大切だ」という一点で共鳴できる。価値観が抽象的であるほど、共感しうるカルチャーリーダーの裾野は広がっていくのだ。

    つまり、価値観の表現は、「自社の宣伝」から「公共的な問いかけ」へ、「具体的な機能」から「生き方に関わる抽象的な価値観」へと、意識的に引き上げていく必要がある。私的すぎ、具体的すぎる主張は、共感の輪を自ら狭めてしまう。

    ただし、抽象度を上げることと、中身を失って空虚になることは違う。「テレビで、もっと家族は家族になる」が力を持つのは、その背後にブランドが本気でそう信じている意思があるからだ。カルチャーリーダーは本物かどうかを見定める。器だけを抽象的に飾っても、中身がなければ見抜かれる。公共性・抽象度という形式と、本物の意思という中身。この両方が揃ったとき、発信は最も広く、深く、共感を呼び込んでいく。

    5.ブランド運営者への示唆

    以上の議論を、ブランド運営の実務に落とし込むと、押さえるべき要点は三つに集約される。

    第一に、「伝える」から「共につくる」へと発想を根本的に転換すること。カルチャーリーダーは、ブランドのメッセージを届けるための相手でも、価値観を売り込む先でもない。ブランドの価値観に共感し、それを自らの手で拡張してくれる主体である。発信を発注するような目線でカルチャーリーダーを探しても、決して見つからない。探すべきは「発信してくれる人」ではなく「本気で共鳴してくれる仲間」なのだ。この発想の転換ができないかぎり、何を試しても表面的な施策に終わる。

    第二に、何よりもまず「自分たちは何を信じているのか」を言葉にし、発信すること。これはカルチャーリーダー施策の前提であると同時に、あらゆるブランド活動の最上流に位置する。そして、その発信は、自社の宣伝にとどめず、公共的で抽象度の高い価値観へと引き上げていく。共感してもらう対象が開かれた形で世に出ていなければ、共鳴も拡張も始まらない。大切なのは、社内の誰もが、自分の言葉で同じ価値観を語り、発信できる状態をつくることである。ドキュメントの美しさより、価値観が人に宿り、外へ発せられているかどうかが問われる。

    第三に、評価の視野を、短期と長期の両面に開くこと。カルチャーリーダーの共感は、UGCを起点に短期の売上を動かすと同時に、消えないブランド資産を積み上げていく。この二つを対立させ、どちらか一方の物差しだけで施策を測れば、その豊かさを取りこぼす。見据えるべきは、「どんな人が、どんな生き方で、このブランドを体現し、どう外へ広げてくれているか」という本質的な指標と、そこから生まれる売上の両方だ。そして、この複眼的な視野を、現場だけでなく経営層が共有できているかどうかが、施策の成否を最終的に分ける。

    6.結びにかえて

    ブランドは、企業が一方的に発信し続けることで完成するものではない。それを信じ、自らの暮らしの中で体現し、自分自身の言葉で語り直し、外へと広げてくれる人がいて、はじめて「文化」になる。広告は、ブランドが何かを言う。文化は、ブランドについて誰かが語り、その語りがさらに次の語りと購買を生む。この主語の転換と連鎖こそが、ブランドが本当の意味で強くなる瞬間である。

    カルチャーリーダーとは、その文化が生まれる起点に立ち、長期のブランド資産と短期の成果を繋ぐ存在だ。彼らが本物の価値観に共感し、自らの生き方を通じてブランドを語り、拡張し始めたとき、新しい当たり前がゆっくりと、しかし確実に育ち始める。冒頭で多くの運営者を引き裂いていた長期と短期のトレードオフは、ここで一つに繋がる。SLEEPY TOFUにおいて「余白」が「創造のための余白」へと広がっていったように、彼らの共感は、ブランド単独では決して届かない場所へとブランドを連れて行く。

    だからこそ、彼らに共感されるブランドであるためには、小手先の演出ではなく、本物の意思が要る。自分たちの価値観を、公共的で抽象的な言葉として世に発信し、本物かどうかを見定める彼らの目に応えうるだけの中身を持つこと。そのうえで、共感から生まれる関係を育てていくこと――この積み重ねの先にしか、広告費では決して買えないブランドの強さは立ち上がらない。

    カルチャーリーダーの重要性とは、つまるところ、ブランドが「本物であること」を絶えず問われ続ける、その関係性の重要性にほかならない。彼らという鏡の前に立つことは、ブランドが自らに「お前は何を信じ、それを世にどう発しているのか」と問い続けることでもある。その問いから逃げないブランドだけが、共感を呼び、文化をつくる側に回ることができる。


    本稿はNineCraft Inc.によるブランド戦略フレームワークに基づいています。Copyright © 2023 ninecraft Inc. All Rights Reserved.

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